10年以上もの間、私が成長について勘違いしていたこと
ずいぶん久しぶりな記事の投稿。
2020年の秋に日本に帰ってきてからブログをよく書いていたのですが、
今年に入ってぱったりと文章を書くことをやめてしまっていました。
なのですが、最近また発信したいことがたくさんあることと、
やっぱり文章を書くことや話すという“言葉”を使った表現をしたくなって、
またブログをこつこつと書いていこうと思っています。
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今回のお題は「10年以上、私が成長について勘違いしていたこと」です。
私は子供の頃から、
“生きている理由”とか、“なんのために生きているか”と考えずにはいられませんでした。
当時は自覚はなかったけれど、
今から思い返すと幼少期から何かしらの「生きづらさ」を感じていて、
だからこそ“すがるもの”=“生きる意味”を模索してきたのだと思います。
そして19歳くらいの時、
当時深い交流のあった方から生まれてきた理由は
「精神的な成長をするため」と教えてもらいました。
そこから私は
心が清らかで
世の人のために努力を惜しまず
他人を受け入れる度量の深い
公明正大を君子を目指してきました。
怠惰であったり、理想と違う自分が出てきては自分自身のことを裁き、
人よりもうまくできない部分は避難し続けてきました。
だって今よりも成長するために。
それはそれは辛かったです笑。
誰か違う人を目指していたわけですから。
だけどさまざまな経験を経た今の私が思う成長とは
今まで私がものとは全く違うものなんですよね。
今の私が思う成長とは、いかに ありのままを認められるか。
どんなにネガティブな感情や思いが沸き上がってきてもいいし、
自分のことが嫌いのままでもいいし、
自信なくてもいいし、
「ぜーんぶそのまんまでいいんだよ!」
「そのままで幸せになっていいんだよ!」
と自分に許可してあげられるようになること。
どんだけ自分の価値観が世間とずれていても、
それは自分の中で正解であり、
人と比べる必要もなければ、合わせる必要もない。
なんでもOK
それでもYES
そういう態度を取れるようになることが、精神的な成長だと今の私は思っています。
以前考えていた成長とは全く違うものな訳であります。
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そしてですね先日、
10年ぶりくらいにその生まれてきた理由を十代の私に授けてくれた方とお会いしたんですね。
その方に「全然違ったじゃないですか~」と少々非難する気持ちを含めて笑、
↑のことを話したんですね。
そうしたら笑いながら
「全然違うよ~!成長とは“ありのままの姿に戻っていくこと”だよ~!!!!」
と言われました。
私も本当笑っちゃって!笑
約10年私のことを縛って苦しめてきた「成長」という概念。
その概念、10年以上間違って思っていたんですね!
そもそもその方は今の私と同じ意味で私に伝えてくれていたけど、
10年前の私は成長とは清く正しい聖人になることと勝手に勘違いしていたことが判明しました。
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生まれてきた理由は「幸せになるため」っていう方がいるけど、
(言葉の綾をつっこむようかもしれないけど)
私は少しニュアンスが違うように思うのですね。
幸せになるために生まれてきたということは、
人間生まれた瞬間から不幸せということじゃないですか。
お母さんのお腹からおぎゃ~と産まれてきたばかりの赤ちゃんが不幸せな訳ではないと思うのです。
もの心がつき、世間や大人にもまれていく中で、
徐々にありのままの自然な姿にジャッジが入るようになり
「幸せじゃない」状態になっていく。
だから私は「幸せに還る」「生きることは幸せのため」にある、という言葉がしっくりきます。
産まれた瞬間私たちは
幸せも不幸せの定義すらない状態。
だからダイレクトに陰陽両方を含めた生きる実感と幸せがある。
一般的に言われるネガティブなことを自分から排除していくことが成長ではないです。
一生懸命そのネガティブなものを自分から追い出そう追い出そうすると、
逆にそれに囚われ、その抵抗が不幸せや苦しみを生みます。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、
そんなネガティブなものがあってもいい、と思えることによって、
そのネガティブなものから自由になり
本当に自分の望むものや好きなもののために生きられるようになります。
『いかに喜びや幸せのために生きていけるか。』
これが精神的な成長だと思います。
あ~、10年間この勘違いは本当に辛かった。。。笑
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